第5回 永淵修 教授
「自然環境の危機管理〜世界自然遺産”屋久島”を例に」




9月27日、千葉科学大学危機感理学部「サテライト講座」の第5回として、環境安全システム学科教授の永淵修氏による講演が行われました。ここではその一部をご紹介します。
● 自然環境の危機管理とは

 自然環境の衰退は、じわじわと進行していくため、なかなか気づかないものです。しかし、異常気象などの天変地異からはじまって、それはやがて生態系の破壊へとつながり、最終的には人間の生活空間にも影響を及ぼすことになります。そして、気づいたときには手遅れになってしまうことが多いのです。たとえば、温暖化による氷河の後退がいい例です。1年単位では、氷河の状態にどのような変化が生じているか明確にはできませんが、10年、20年単位で見ていくと明らかに後退していることがわかっています。政治的・社会的危機や自然災害と違って目の前に見えるものではないため、多くの人は自然環境の危機といってもピンとこないかもしれませんが、科学者が明らかにしつつある事実から推測して、今や地球環境のおかれている事態は深刻で、まさに本質的な危機に直面しているといってもいいでしょう。

 一般に危機管理では、迅速な事後処理を行うことが大切ですが、「自然環境の危機管理」においては、事後処理に至ったときにはすでに手遅れの状態です。ですから、危機を避けるための事前の果敢な行動が何より必要とされます。そのためには、我々科学者が、きちんと環境のリスク評価をすることが非常に重要なわけです。まずは、十分な科学的データの積み上げをして、そのデータに基づいて行政や政治が的確な判断をし、政策を実行しなければなりません。さらには、国際協力の推進や個人個人の意識改革も必要です。


● 屋久島の現状と今後の課題

 地球環境問題のひとつである酸性雨を例にもう少し具体的に自然環境の危機についてお話ししましょう。酸性雨とは、人間活動によって大気中に放出されたさまざまな大気汚染物質により大気そのものが酸性になり、その結果引き起こされるものです。私は、この広義の酸性雨が自然環境にどのように影響しているかを世界自然遺産地である屋久島をフィールドに10年来調査してきました。
 調査・分析の結果、中国大陸で発生した大気汚染物質が西風によって長距離移流して我が国に達し、屋久島の陸水や森林に影響を及ぼしていることがわかっています。たとえば、オゾン濃度については、自然環境に影響が出てもおかしくない高い濃度が島全域にわたって検出されています。夏期は比較的低くなりますが、冬場は一週間の平均値が環境基準を大幅に超えることもあります。高いオゾン濃度の影響によって、植物、特にマツ類の成長に影響が出ている可能性が高いといえます。また、冬場に島の北西部で硫酸イオンの負荷量が増大するのも大きな問題です。実際、硫酸イオンが樹木の葉っぱに付着して細胞壁や細胞膜がダメージを受けています。陸水についても、硫酸イオンが影響して島全体の渓流で水の酸性化が起こっていて、西風の強くなる冬季に増大することが判明しています。世界自然遺産の中には、すでに「危機遺産」の指定を受けているものも少なくありませんが、屋久島の自然にもそうした危険性があるのです。

 これに対する抜本的な対策は、政府間で温暖化対策を推進することですが、現時点では困難といわざるを得ません。というのは、屋久島の自然環境の衰退原因にはまだまだ不明確な点があるからです。人間が死にさまざまな要素が絡み合って原因がひとつに断定できないことがあるように、マツが枯れるのは、マツノザイセンチュウが原因で酸性雨は関係ないと言う人もいれば、酸性物質のせいだと言う人もいます。酸性エアロゾルという汚染物質の影響が無視できない、という事実はわかっていますが、それだけでは現状の自然環境が把握できたに過ぎず、危機管理論的、環境リスク論的な評価としてはまだまだ不十分なのです。抜本的対策をとってもらうためには、総合的なモニタリングをさらに続け、衰退原因の何パーセントを酸性物質が占めているのかを明らかにして、酸性物質が絶滅危惧種にどう影響するかをより具体的に示していくことが必要です。


● リスク評価こそが危機管理

 環境問題に共通していえることですが、原因が明確にならないと対処しないため手遅れになるケースはこれまでにいくつもありました。原因が灰色の段階でも対策を高じるためには、これまでの環境基準のようにある濃度レベルがあって、多少上下しても基準内に入っていればそれで良しとするのではなく、非常に低い濃度であってもきちんとリスク評価することが必要です。それこそが、自然環境の危機管理なのです。我々にとって不確実な部分のリスクをどう評価していくかが、今後の大きな課題といえるでしょう。
自然環境の危機は、人間の生活にも大きな影響を及ぼすだけに関心が高く、講演後も熱心な質疑応答がかわされました。



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