第5回 柴原壽行 氏「危機管理〜感染症からいかに身を守るか」



●世界的に拡大している新興感染症の脅威。
 戦後、日本は衛生状態が非常に良くなり、多くの感染症が抑え込まれるようになりました。しかし、一方で、エボラ出血熱やエイズなどの新興感染症と呼ばれる新たな感染症が出現し、1970年以降、少なくとも30の新興感染症が確認されています。また、過去に流行し、一旦は治まったと思われていた結核やマラリアなどの再興感染症も増えてきています。人間にとって、感染症の脅威はいまも変わってはいないのです。これらの病気は、多くの人々の命を奪い、家庭を崩壊させるだけではなく、経済的にも大変大きなダメージを与えます。
 たとえば、最近では、重症急性呼吸器症候群(通称SARS)が世間を騒がせましたが、いまだにどのような動物によって感染するのか明確になっていません。感染源として有力視されているのはハクビシンという動物ですが、コウモリではないかという説もあります。また、エボラ、マールブルク出血熱では、ヨーロッパおよびアメリカで輸入されたミドリザルが原因とされています。
 新興感染症が世界的に拡大している背景のひとつとして、アフリカなどで開発が進み、従来、人間が入れなかった地域に足を踏み入れるようになったことで、野生動物と接する機会が増えたことがあげられます。たくさんの人が海外旅行に気軽に出かけるようになったことも一因と考えられます。衛生状態の良い都市に行くのであれば問題はありませんが、砂漠やジャングルに行けば感染症にかかる危険性は高くなります。特に日本人は、水に対する危機感がありません。わたしも十数回東南アジアに行きましたが、つい、いつもの習慣で水道水を飲んでしまい、たいへんなことになった経験があります。それ以来、高くてもミネラルウォータを買って飲んでいますが、こういうことも感染症のもとになるわけです。

●「もはやどの国も安全ではない」とWHOが警告。
 近年、南米で流行した新型コレラは、旅行者の移動で近隣諸国まで拡大しました。日本でも、何年か前に上野でコレラ騒ぎがありました。この時は、結婚式場で料理として出された鯛がコレラ菌に汚染されていて、料理を食べた出席者のほとんどが感染しました。この鯛はタイから冷凍で輸入されたものでした。タイで冷凍処理するときに付着したコレラ菌が氷づけになったまま日本に運ばれ、結婚式場の調理場に侵入したわけです。鯛を調理した時、まな板や包丁などの調理器具にも菌が付着したため、さらに感染が広がるという結果を招きました。
 このように、国を超えて物や人の移動が盛んになると、どんな国も感染症の侵入を防ぎようがありません。WHOは、「我々は今、世界規模で感染症による危機に瀕している。もはやどの国も安全ではない」という警告を発しています。輸入食品やペットブームによる愛玩動物の輸入が増加し、海外旅行や自衛隊の海外派遣なども活発になる中、日本でも、海外から感染症が持ち込まれる危険性は、今後ますます高まると考えられます。

●増加傾向の寄生虫感染症と減少傾向の研究者数。
 ウイルスや細菌だけでなく、寄生虫による感染症も問題となっています。たとえば、マラリアに関しては、年間の感染者数は、世界で3〜5億人、死亡者数は150〜270万人と推定されています。アメーバ赤痢は、年間1億人が感染していますし、回虫症も多くの子どもが感染しています。
 日本国内では、こうした寄生虫病がほとんど見られなくなったため、寄生虫はいないと思われている方が多いようです。しかし、世界に目を向けてみると、実際にはまったく減っていませんし、発展途上国では、たいへんな数の方が感染しています。また、日本でも、食生活や生活環境の変化などにより、新たな寄生虫感染症が増えてきています。
 たとえば、熊や馬、豚の生刺しなどによる寄生虫病もそのひとつです。1975年、青森県岩崎村で白熊の刺身を分け合って食べた猟師たちが吐き気を訴えました。調べたところ、旋毛虫という寄生虫に感染したことが分かりました。この時、はじめて、日本にも旋毛虫がいることが確認されました。また、ペットブームで犬を飼う人が増えていることから、イヌ回虫症にかかる危険性も高まっています。最近、一番問題となっているのが、1993年にアメリカのミルウォーキーで40万人の死者を出したクリプトストリジウムという新しい寄生虫です。日本でも、千葉県で子どもがプールで感染したり、埼玉県で水道水から感染したケースがあります。
 日本では、寄生虫はいなくなったという誤ったイメージが定着してきたため、医学系大学の寄生虫学教室が年々減ってきています。しかし、新興感染症を含めた寄生虫感染症が増えてきている中で、研究者の減少は危惧されるところです。
 写真や事例を交えた具体的な解説で、普段あまり意識しない感染症や寄生虫の危険性について、認識を新たにさせられました。



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