第9回 唐木英明 氏「食品の安全と安心の違い」



 12月12日、サテライト講座の第9回として、東京大学名誉教授で日本学術会議会員の唐木英明氏による講演が行われました。ここでは、その一部をご紹介します。
●本能と理性が対立すると、本能が勝つ。
 人間は、自分の身を守るために、一瞬のうちに危険を察知しようとする本能を持っています。そのため、「これは危ない」というニュースに対し非常に敏感に反応します。「危険」情報をキャッチした時、自分にとってそれが本当に危険なものかどうか、理性的に考え、対応することが、本来あるべきリスク判断の考え方です。しかし、大抵は、「何か怖い感じがする」という本能的な感情や「新聞やTVで危険だといっているから」といった他者の評価に左右され、理性によるリスク評価をしている人は、ほとんどいないのが現実です。オレオレ詐欺はその典型的なパターンのひとつです。理性で「詐欺だろう」と考えても、「本当だったらどうしよう」という不安や恐怖感で気が動転し、つい振り込んでしまうわけです。このように、人間の脳は、本能と理性が対立すると、本能の働きが勝ってしまうものなのです。
 一般の人は、危険なものがあるというだけでリスクだと感じます。しかし、専門家は、危険があるというだけでは、リスクとは考えません。実際にその危険に出会う機会が大きい時に、はじめてリスクがあると判断します。一般の人も、本能的な感情に左右されず、何が本当のリスクなのかを見極める判断力を養うことが、非常に重要だと思います。

●すべての野菜や植物は天然の農薬を持つ。
 一般の消費者は、少しでも危険なものが含まれている食品に嫌悪感を抱きます。特に、食品添加物や農薬は、からだに害があると考えて避ける人も多いでしょう。しかし、これは大きな誤解です。実は、食品に絶対に安全なものなどありません。たとえば、卵や小麦粉、そば、乳製品などがアレルギーの原因になるように、どんな食品も何らかの危険性を持っているものです。そもそも、すべての野菜や果物は、天然の農薬(化学物質)を含んでいることが分かっています。植物は、虫やバクテリアから身を守るため、殺虫剤や殺菌剤と同じ成分の化学物質をたっぷりと内蔵しているのです。あるアメリカの学者の研究では、52種類の天然農薬のうち、27種類に発がん性があることが判明しています。しかもこの27種類の化学物質は、ほとんどの野菜、果物に含まれているものです。アメリカ人の場合、毎日平均1.5グラムの天然農薬を摂取していますが、この量は、残留農薬基準の10,000倍以上にもなります。無農薬野菜というのは、残留農薬がないというだけで、99.99%の天然農薬は含まれています。つまり、我々は、知らず知らずのうちに、天然の化学物質を口にしているわけです。
 添加物や農薬を嫌う一方、我々は、野菜や果物に含まれる体にいいとされる化学物質を抽出し、サプリメントなどの補助食品として大量に摂取しています。しかし、これも危険です。どんなに良いといわれるものでも、大量に取りすぎれば毒になります。たとえば、ポリフェノールは、活性酸素を抑える効果があるといわれていますが、これを濃縮してたくさん飲むと発がん性が高くなることが分かっています。こういう事実が、一般の人に知られていないということは非常に大きな問題です。大事なのは、食事の組み合わせと量です。さまざまな種類の食品を適量食べることが、健康被害のリスクを減らす最良の策です。

●科学的根拠のない「無添加食品」の流行。
 食品の安全性に不安を感じるものとして、一般消費者が最も嫌うのが食品添加物です。「食品添加物は怖いもの」という神話が生まれた原因のひとつは、発がん性や公害問題で化学物質に悪いイメージができてしまったことがあげられます。また、最近は、食品添加物のマイナス面ばかりが書かれた本も数多く出版され、多くの人は、「毒性がある」「食生活を乱す」「着色料や調味料でごまかしたインチキ商品」といった思い込みをしています。その裏で、天然・自然の食品が安全、安心だと言われ、無添加食品が流行っています。しかし、私の知る限り、添加物の入った食品が健康に悪いと科学的に証明されたものはなく、逆に、無添加食品が健康に良いと証明されたものもありません。最近は、コンビニでも保存料を入れていないおにぎりを売っていますが、傷みが早く、食中毒の危険性が高くなるため、処分する量が多くなっているといいます。無添加食品は、健康にとって何のメリットもないばかりか、むしろ、衛生的にも、経済的にも負担がかかる分、消費者にとってはマイナスの方が多いのです。
 日本では、科学よりも「噂話」が信じられてしまう傾向があります。これは、非常に困った現象だと思います。たとえば、「マイナスイオン」は、健康に良いといわれ、昨年まで多くの企業がこぞって製品化していましたが、実はこれにはまったく科学的根拠がありません。他にも、「酸素水」や「海洋深層水」が体にいいとか、健康食品はたくさんとるほど効くといったさまざまな説がありますが、ほとんどは科学的根拠がないものばかりです。消費者は、何よりもまず、科学的に実証された事実を信じることが必要です。
 食品にゼロリスクはありません。自然・天然の食品ならすべて安全と考えるのは大きな誤りであり、野菜や果物の例のように、自然の食品ならではのリスクもあるということをぜひ覚えておいてほしいと思います。

●率直なリスクコミュケーションを。
 一般消費者は、食品に対して絶対安全という理想論を持っています。これに対し、事業者や行政は、実質的な安全論で対策を行わなくてはなりません。現状では、消費者は、理想論と現実論との接点をうまく理解できず、不安が大きくなっています。この不安を解消するためには、消費者に対して科学教育をきちんと行うとともに、事業者と消費者が、本気で話し合い、信頼関係を構築することが必要です。
 食の安全は、農場から食卓までのすべての関係者が「食の安全を守る」という共通の認識を持たなければ達成できません。消費者、事業者全員が目的を共有し、隠し事をせず率直なリスクコミュニケーションを行って、お互いに理解を深めていくことが大事だと思います。
 食の安全性について、日頃いかに間違った認識をしているかに気づくとともに、正しいリスク判断を行うことの難しさと重要性について学ぶことができました。



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