「感染症と危機管理」
千葉科学大学 薬学部 免疫微生物学研究室教授 増澤俊幸 教授




 9月16日、サテライト講座の第2回目として、薬学部免疫微生物学研究室教授の増澤俊幸氏と、危機管理学部環境安全システム学科教授の長村洋一氏による講演が行われました。ここでは、その一部をご紹介します。
●拡大を続ける新興感染症
 今から200年以上前、イギリスの医師エドワード・ジェンナーが天然痘のワクチンを開発したのをかわきりに、多くの医学者や細菌学者によって感染症の研究が進められてきました。その結果、様々な病原微生物が見つかり、治療方法や予防方法が確立され、感染症はどんどん制御できるようになりました。
 たとえば、結核がその典型的な例です。日本では戦前から戦後にかけて死亡原因の一位を占め、国民病とも言われていましたが、予防接種の実施やスプレプトマイシンなどの抗生物質の開発によって患者数が激減しました。また、天然痘は、ジェンナーによって開発されたワクチンで世界保険機関(WHO)が世界規模の予防接種を実施した結果、1980年には患者はひとりもいなくなりました。人の手によって、一つの感染症を地球上から消滅させることに成功したのです。こうしたことから、感染症の時代は終わり、もはや人類が感染症に苦しむことはないという風潮が広まっていきました。
 しかし、実際には、感染症がなくなったわけではありません。1996年、WHOはヘルスリポートの中で、世界中のどの国も安全とは言えず、新しい感染症が広がりつつあると警告を発しました。これと前後して、感染症の分野でも、新興感染症と再興感染症という言葉が流行語になりました。
 新興感染症とは、これまで知られていなかった全く新しいウイルスによって引き起こされる感染症のことで、過去30年間、ほぼ毎年のように新たな病原菌が見つかっています。最近の例としては、2003年に発生した重症急性肺症候群(SARS)があげられます。エイズや狂牛病(BSE)、腸管出血性大腸菌(O157)、鳥インフルエンザなども新興感染症のカテゴリーに入ります。一方、再興感染症は、一度は人類の力によって制圧されたものの、何らかの要因で再び脅威を増している感染症です。たとえば、結核やマラリアがこれに該当します。

●さまざまな要因が感染症の引き金になる
 このような感染症が現れる要因としては、ジャングルや密林の開発、世界的な交通網の発達、食料生産法の変革、生活様式の変化、地球の温暖化、新しい医療技術、抗菌剤の乱用、高齢者の増加、生物兵器やバイオテロリズムなどがあげられます。
 たとえば、ジャングルの開発や交通網の発達で新たに現れた感染症としては、エイズが代表的です。エイズは、もともとアフリカの限られた地域にしか見られなかった風土病でした。しかし、60年代から70年代にかけて砂漠やジャングルの中に高速道路が通るようになったことで人の移動が活発になり、感染が拡大していきました。SARSの場合も、中国で感染した医者が、そうとは気づかないまま香港に出かけて発病し、あっという間に世界中に広がってしまったわけです。人に国境はあっても、感染症に国境はないということです。
 さらに怖いのは、地球温暖化の問題です。たとえば、マラリアは、熱帯から亜熱帯に生息するハマダラカによって感染します。現時点では、この蚊は日本にはいませんが、地球が温暖化すれば、どんどん生息域が広がって、マラリアが日本でも大流行するかもしれません。
 高齢化社会の到来も大きな問題です。実は、激減したはずの結核患者が、1999年に一時的に増加に転じています。これは、抵抗力の弱い高齢者が増えたことにより、感染する可能性の高いリスク集団が増大したからです。また、抗菌剤の乱用により薬剤耐性結核菌が出現し、現在は薬の効かない結核が全体の約3分の1を占めています。これは、薬のない時代と同じ状況に戻ってしまうという恐ろしいことを意味しています。

●研究所や検疫所が対応
 こうした感染症が出現した場合、具体的にどう対処しているのでしょうか。日本では、厚生労働省の機関である国立感染症研究所が、病原微生物に対する感染予防法や治療法の研究、ワクチンの開発などを行っています。また、研究所の1部門として設置されている感染症情報センターでは、感染症に関する情報をすべての県から収集し、それを解析して国民にフィードバックします。集団発生があった場合には、調査チームを派遣してその制圧に努めたり、感染症を予防する戦略的な研究も行っています。実際、今年の春から夏にかけて、はしかが流行した時は、すべての県にある衛生研究所から毎週患者の発生状況の報告を受け、これをすべて集約し、インターネットを通じて動向を知らせていました。
 海外から侵入する病原体に対する危機管理については、厚生労働省と農林水産庁の管轄である検疫所が行っています。検疫所は、現在、成田空港や横浜港など全国で13ヶ所に設置されており、感染症を引き起こす動物や虫の侵入を防ぐために予防接種を行ったり、航空機内の蚊の調査、駆除などなどを行っています。

●知識こそ最良のワクチン
 現在、最も危機管理を必要としている感染症は、高病原性鳥インフルエンザです。人への感染が確認された1997年以降、アジア、中東、ヨーロッパなど全世界に広がりつつあります。さらに心配されるのは、鳥インフルエンザウイルスと人のインフルエンザウイルスが混合して、新型インフルエンザが出現することです。新型インフルエンザの世界的な大流行が起これば、国内では4人に一人が感染し、最悪の場合64万人が死亡すると想定されます。
 これに対応するために、現在タミフルを2500万人分備蓄する計画が進行中で、これは本年度中に確保できるとされています。また、鳥インフルエンザの予防ワクチンを1000万人分備蓄し、医療従事者などに接種することも計画されています。残念なことに、我々が現在接種している予防ワクチンは、鳥インフルエンザと亜型が違うため無効です。鳥インフルエンザ用のワクチンは現在開発中ですが、新型インフルエンザが出現した場合は、これも効かない可能性があります。そこで、個人レベルでも感染予防のために、外出時にマスクをしたり、うがいや手洗いをすることが大事です。「そんな簡単な方法でいいの?」と思われるかもしれませんが、インフルエンザウイルスは、石けんの中に含まれる界面活性剤に非常に弱いので、手洗いによってかなりのウイルスを除去できます。
 感染症に対応するためには、病原体や感染症に対する知識を持つことが非常に重要です。ウイルスに対して手洗いが有効だと知っているだけでも、感染の危険から身を守ることができます。“知識こそ最良のワクチン”ということを認識し、一人ひとりが病原体に対する詳しい知識を持つよう心がけていただきたいと思います。
 感染症の歴史や種類、現在の状況や対策、今後の動向、身近にできる予防法まで、幅広くわかりやすいお話で、感染症について理解を深めることができました。



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