「だいじょうぶキャンペーン」危機管理学セミナー 
「日本が生き残るための国際戦略とアフリカ政策」
千葉科学大学 ムウェテ・ムルアカ教授




 11月8日、企業や自治体、大学、地域住民が一体となって、安心・安全なまちづくりに取組む「だいじょうぶキャンペーン」の一環として、危機管理学セミナーが行われました。
 第4回目の今回は、千葉科学大学教授のムウェテ・ムルアカ氏を講師に迎え、「日本が生き残るための国際戦略とアフリカ政策」をテーマにご講演いただきました。ここでは、その一部をご紹介します。

●深い関係を築いてきた日本とアフリカ
 日本とアフリカの交流の歴史は古く、安土桃山時代までさかのぼります。ジンバブエの文書に残るポルトガルの記録によれば、初めてアフリカ大陸に渡った日本人は、1593年に座礁した帆船の中に奴隷として乗っていたとされています。昭和初期には、日本各地からアフリカ経済調査団が派遣されました。当時は、まだアフリカの多くの国は植民地でしたから、日本人による綿花栽培と直接貿易が視野に入っていたことが伺えます。1927年の6月には、日本とエチオピアの間で通商友好条約が締結されました。また、1959年には、私の故郷である現コンゴ民主主義共和国に日本領事館が置かれ、その後大使館が置かれました。1951年のサンフランシスコ平和条約以降、日本は世界の国々と国交を結び始めましたが、コンゴはその17番目の国となりました。
 戦後になると、食糧や地下資源エネルギーをめぐって、日本とアフリカの関係は、さらに深いものとなっていきました。たとえば、「マルハ」を設立した中部氏は、マダガスカルやモザンビーク、モーリタニアなどに渡り、遠洋漁業事業を展開して戦後の食糧難に大きく貢献しています。また、三井、三菱、丸紅をはじめとする商社は、メタル市場を通じてアフリカの資源を利用し、日本経済のピラミッド方式を大きく発展させました。
 政治的な面でも、今から三十年ほど前に、私が約30名の議員連盟を設立し、アフリカの議員と日本の議員が交流できるようになりました。その後、日本がリーダーシップをとってアフリカの発展を推進していこうと実現したのが、アフリカ開発会議(TICAD)です。1993年の第1回開催以来、現在は5年に1回の首脳級会議に加え、閣僚級会合も開催しています。さらに、2000年に開催されたG8沖縄サミットでは、日本の提案で初めてアフリカの参加が認められました。G8の議題には、貧困や紛争の話が多いのに、当事者であるアフリカ人がいないのはおかしい。アフリカの方々にも参加してもらうべきだと日本が他の加盟国に強く働きかけた結果です。このように、長い歴史の中で、日本とアフリカはさまざまな面で深い協力関係を築いてきたのです。

●スピード感をもって政策の実行を
 ところが、小泉内閣の時にアフリカ政策や戦略は幻に終り、日本の外交も深い麻酔状態にかかってしまいました。日本が不在の間に、アフリカには中国やインド、韓国などが次々と進出し、大きく伸びてきています。日本は戦後、多くの先輩たちが命がけで働いて、世界第二位の経済大国へと発展しましたが、今やその座は中国に奪われてしまいました。大きく遅れを取ってしまった日本が、今後国際競争の中で生き残っていくためには、一体どうすればいいのでしょうか。
 私は、アフリカとのパイプを再び太くし、アフリカ政策に力を入れていくことが必要だと考えています。なぜなら、アフリカの中、特にコンゴ、アンゴラ、ザンビア、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビアなどには、莫大な資源があるからです。この計り知れない資源は、日本のエネルギー政策や経済再生の鍵になるといってもいいでしょう。
 ところが、非常に残念なことに、今の日本では、商社も行政も何も動こうとしません。政治にしても、税金のことしか頭になく、どうやって外からお金を持ってくるかということを考えていないのが現状です。
 そこで私は、立法府でアフリカシンクタンクを作り、日本のためなら命がけで働くことを厭わないサムライ精神を持った日本人やアフリカのロビイスト、専門家などを交えた委員会を設けることを提案したいと思います。なぜアフリカシンクタンクが必要かというと、日本の縦割り行政の弊害をなくし、スピーディーかつ正確に戦略・政策を実行に移すためです。私は現在、文科省、経産省、総務省という三つの役所の顧問や参与をさせていただいています。このポストに付いてすぐに、私は省庁の壁を何とか打開しようと、文科省、経産省、総務省、外務省の4つの役所の課長級クラスの勉強会や意見交換を頻繁に行うことを提案しました。ところが、「忙しい」「時間がない」といったことを理由にして、いまだに一度も開いたことがありません。結局、縦割り行政を壊すことができるのは、立法府という最高機関しかないのです。省庁の枠を超えた協力体制を構築し、具体的な戦略を出してすぐ実行に移すことが、アフリカ政策を円滑に推進していく原動力となるでしょう。

●若い企業の活性化が重要
 日本が生き残るための具体的な戦略として、若い企業や中小企業を活性化させ、アフリカでのビジネスを成功させることも重要です。そのためには、たとえば、ODAの中に若い企業を入れたり、学生をアフリカに行かせて勉強させることが必要です。また、資源外交や投資の面でも国がしっかりサポートしなければなりません。
 幸い、アフリカには、大きなビジネスチャンスがあります。私が現在総務省で進めているデジタル式の電気システムもそのひとつです。アフリカでは、現在もマラリアを初めとする様々な感染症によって、計り知れないほど数多くの命が亡くなっています。彼らは、どうしたらマラリアから身を守れるのか、感染したらどう対応すればいいのかを知りません。なぜなら、アフリカの電力事情の劣悪さによって、知識を得るための情報を得ることができないからです。しかし、日本が作った世界一のデジタル式電力システムを導入すれば、これまで夢だった様々な情報を得られるようになるのです。これは、アフリカにとっては革命中の革命であり、日本にとってはビッグビジネスのチャンスに他なりません。よくジョイントベンチャーと言いますが、現地で成功しているもっとも信用のおける会社と組めば、アフリカではだれでも成功できる可能性があり、実際に成功している方たちもたくさんいます。
 人間が生きていくためには"モノ"が必要です。日本には、資源がないかわりに、科学があります。その科学をどう磨いて、優れた製品を開発していくかを考えること、そして日本の製品が永遠に残るメカニズムを構築していくことが、今もっとも必要なことだと思います。
 アフリカ政策と戦略を本気でやれば、私は日本がもう一度、世界第二位の経済力を取り戻すことも決して難しいことではないと思います。そして、10年後、20年後、あるいは50年後も安定した国を作れることは間違いないと信じています。




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