第1回 岸井成格 氏「危機管理-政治記者の視点」



 4月25日、危機管理学部サテライト講座2006年度の第1回目として、毎日新聞社特別編集委員でTVコメンテーターとしても活躍中の岸井成格氏による開講記念講演が行われました。ここでは、その一部をご紹介します。
●偽メール事件に関する自民党と民主党の対応
 政治記者としてこれまで外務省や防衛庁をはじめ、官邸、与党などを担当してきましたが、私がいつも感じるのは、「この国は危機管理のない国なんだな」ということです。率直にいって、日本では危機管理に対する意識そのものが非常に希薄です。日本人というのは悲観的、危機的なことについて割と敏感ですし、そういうことに耳を傾ける度量が深いようです。楽観的なニュースより暗いニュースが流れた方が、危機感を持ってがんばる傾向があるように思います。悲観論が好きだし、それをバネにする国民でもあるようです。ところが、そこからさらに一歩進んで最悪の事態を想定し、どう対処をしたらいいのかをシュミレーションしたり、計画したり、訓練するということができません。ですから、いざというときに、悲観論も危機感もまったく役に立たないということがよくあります。
 たとえば、最近の出来事で民主党の「偽メール事件」があります。この事件は、いまだにその背景や真相が完全に解明されたとは言い難いのですが、メールそのものが偽物であるということは、意外に早く分かっていました。
 実は、私はメールこそ入手していませんでしたが、1月20日過ぎには、すでに情報そのもの、つまりメールの内容はつかんでいて、これが本当かどうか取材していました。もしメールの中身が本当なら、小泉内閣にとっては致命傷になるような非常に重要な情報ですから、私個人に限らず、新聞社の政治部や社会部も取材するのは当然です。途中、紀子様のご懐妊ニュースが飛び込み、皇室典範の改正問題などに関心がシフトしていたため中断しましたが、それまでの取材を通じて、私個人も他の記者も「どうもこのメールは信憑性が低いし、危ない」と考えていました。あのメールを持ち込んだ人物は、かつて週刊誌や新聞社に疑わしいネタを持ち込んだことがあり、何度も痛い目にあっていました。そこで、このメール自体も出所そのものが怪しいとなったわけです。
 ところが、その時点では、民主党はまったく動いている気配はありませんでした。皇室典範は見送りという方向が決まった途端、永田議員の質問が飛び出し、こんなところで出てきたかという感じでした。偽メールの元々の情報源は本当にいるのか、いたとすれば、永田議員がそれにきちんと当たっているのかどうかについて取材をしたところ、全く行っていないことがはっきりしました。結局、永田議員は、情報を持ち込んだ人物の発言だけを信じて質問に立ってしまったということです。
 これに対して、官邸と自民党執行部は、永田議員が質問をするその日までに、新聞社の取材以上に徹底的な調査をして、裏の裏まで全部知っていました。ですから、質問が出たその日に、小泉総理はすぐに「あれはガセだ。心配することは何にもない」と断言できたのです。しかも、異例中の異例ですが、東京地検にわざわざ「そういう事実は把握してない」という次席検事のコメントまで出させています。東京地検特捜部はライブドア事件を捜査していますから、少なくとも捜査の過程でそうした事実は把握していたわけです。さらに念入りなことに、弁護士を通じて獄中の堀江容疑者から「そういう事実は一切ありません」という談話まで出させました。これでは勝負になりません。この自民党の行動は、まさに危機管理だと思います。

●小石ひとつをどう見るかで、結果が変わる
 その後、民主党自身の報告書を読んで分かったことですが、驚いたことに永田議員が質問をした2月16日の4日後の2月20日には、すでに民主党執行部は、メールが偽物だということを知っていました。ところが、前原代表は、党首討論で「明日、お楽しみにしてください」「確証を持っている」などと発言し、国会対策を強気で通しました。あるテレビ番組で、私は前原代表に「偽物であるなら早くその事実を認めて謝罪して、次の一手に移らないと大変なことになりますよ。ひょっとすると、新事実が出てくるのを期待して、ただ時間稼ぎをしているのではないですか?」と言ったことがあります。前原代表は否定しましたが、強気強気に出て行って、結局傷口を広げて辞任にまで至ってしまいました。どこかで区切りをつけていたら、そこまで行かずに済んだはずです。
 政界には、「小石がひとつ転がるのを見て、たかが小石と見るか、いずれ雪崩になると見るかによって、まったく結果が違ってくる」という有名な格言があります。小石には、野党攻勢やスキャンダルの発覚など様々なものがありますが、とにかくその小石がどういう性格のもので、どんな影響力を持ち、今後発展する可能性があるかということを見極めないと結果に雲泥の差が出るということなのです。「これは危ないな」と思う感覚というのが、政治においても非常に大事なのです。そういう視点でいくと、今国会の3点セット、4点セットにまで発展していった野党攻勢というのは、小石が大石になり、雪崩になり、小泉内閣を追いつめて、場合によっては退陣というくらいの勢いがありました。しかし、こういう時には、必ず攻勢する側の野党やマスコミに息切れが出てきます。私の経験からいって、あと一歩で押せるという時に焦りが出て、勇み足が起きることが多いのです。小泉政権、自民党与党に逆風が吹き荒れる中、予想以上の勇み足となったのが、まさに今回の偽メール事件だったわけです。
 背景などについて、なお謎が残るにしても、メールそのものが偽物だと分かったのであれば、その時点で非を認め一端引かなくてはいけません。その後、メールの内容に即した新事実がつかめたら、そこでもう一度仕切り直して反転攻勢に出ればいいのです。私はそれが基本的な危機管理だと思います。偽メール事件は、ある一線を越え、頑張り過ぎて傷口を広げてしまった典型例といえるでしょう。大げさに言えば、戦前の戦線拡大に似ているかもしれません。これはだめだと分かっていても、それを認めず、むしろ強気の方が勝って、止めることができなくなってしまったのだと思います。 危機管理の五原則を、常に念頭に置いた行動を

 永田議員が謝罪会見をした時、私はテレビ番組で危機管理の五原則というのを言いました。実は、それは毎日新聞社の五原則でもあります。今回の場合に当てはめていうと、まずメールが偽だということがわかった時点で直ちにその事実を“率直に認める”こと。次に、“明確に謝罪する”こと。ここまで引っ張ってしまったということに対し、国会、民主党員、民主党支持者、そして国民に対してお詫びをしなくてはいけません。第三に、なぜこういうことになったかということを“自ら検証する”こと。第四にそれを“総括する”こと。そして最後に、けじめをつける、つまり“責任をとる”ということです。これがなかなかできないために、傷口を広げてしまうことが多々あると感じています。
 危機管理というのは、本来であれば、トップが全部リードしなくてはいけません。そうでなければ、部下はついていきません。そこがなかなか難しいところですが、難しいからこそリーダーなのです。どんな事態にぶつかっても人は強気でいたいし、楽観的でいたいものです。しかし、だからこそリーダーは冷静に事実を見極め、非は非として認め、謝罪すべきは謝罪して、検証し、総括して、自ら責任をとらなくてはなりません。これ以外に究極の危機管理はないのではないでしょうか。
 なかなか原則通りにはいかないのが実情ですが、これを意識しているかどうかで、組織の構造もまったく違ってきます。ですから、常に頭の中にこの五原則を置いておくことが非常に大事だと思います。
 第一線の政治記者として活躍中の岸井氏によるタイムリーなテーマで、開講記念にふさわしい充実した講演となりました。



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